新規事業の Will 形成の手順|原体験化までの一歩を踏み出すために
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- 社内起業家
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Will の形成とは、「誰の・どんな課題を・なぜあなたが解決するのか」という3つの質問への回答を、後天的に強く明確にしていくプロセスである。 ゲンバとホンバを行き来し、応援と約束を蓄積し、コップから水が溢れる「原体験化」の瞬間に至る道筋を指す。最初の一歩は、今日のうちに踏み出せる(麻生要一『新規事業の実践論』第2章)。
すべての新規事業は、Will から始まる
私は10年以上にわたって、260社を超える大企業の事業創出と、23,800を超える事業プロジェクトの伴走に立ち会ってきた。その中で繰り返し目撃したのは、ある瞬間にひとりの「ふつうのサラリーマン」が「社内起業家」へと覚醒する光景である。
その瞬間は、技術や知識を身につけたから訪れるのではない。市場分析の精度が上がったから訪れるのでもない。ある社会課題のゲンバに身体ごと足を運び、ひとりの人間として目の前の人と対話したとき、それまで自分の中になかったはずの「意志」が、突然立ち上がる。
私は2019年に上梓した『新規事業の実践論』第2章で、この一連のプロセスを「Will の形成」と命名し、体系化した。本記事は、その第2章で示した実践手順を、書籍未読の方にも辿れる形で再構成したものである。
時代は変わった。AI が事業計画を生成し、完成品を一晩で構築できる時代になった(書籍『AI収益進化論』第3章)。しかし、それでもなお ── あるいは、だからこそ ── Will の形成は、新規事業のすべての出発点であり続けている。
タグラインは、こう言い換えてもいい。「AIは効率化から、収益の創造へ。」その「収益の創造」の入口に立つのは、いつだってひとりの人間の Will である。
前提条件:始める前に整えておくこと
Will の形成プロセスを歩み出すために、特別な資格や立場は必要ない。しかし、整えておくべき内的な前提が3つある。
- 「自分には Will がない」と認められること:いま明確な意志を持っていないことは、欠陥ではない。むしろほとんどのサラリーマンの自然な状態である。ここからしか始まらない。
- 「今の自分の肩書きと実績」を一時的に脇に置く準備:ゲンバでは、それらは通用しない。覚悟しておくこと。
- 「今日のうちに何かを始める」という意思:手順を理解することと、足を運ぶことは別物である。理解だけで止まれば、何も起きない。
この3つが整えば、あとはプロセスに沿って進むだけである。
STEP 1:Will の定義を、自分の中に置く
目的
Will の輪郭を、自分の言葉で持つこと。輪郭がなければ、自分が「どこにいるのか」も「どこへ向かうのか」も判別できない。
Will の正体は、3つの質問への回答
書籍が示す Will の定義は、シンプルかつ厳密である。次の3つの質問への回答こそが、Will の本体である。
- Q1:誰の
- Q2:どんな課題を
- Q3:なぜあなたが
「解決するのか」
この3つの順番と語句を、私は意図的に固定している。Q1とQ2は、取り組む領域を定義する。Q3は、その領域に自分が向き合う必然性を定義する。両者は別物である。
Will に「よしあし」はない、しかし「強さ」と「明確さ」はある
ここを誤解しないでほしい。Will の中身に貴賤はない。社会課題の大きさを競うものでもない。
ただし、評価基準は存在する。それは「強さ」と「明確さ」である。
はじめは弱々しく不明確な回答から始まる。「なんとなく介護に興味がある」「子育てのしづらさが気になる」程度でいい。そこから徐々に、「強く・明確に」なっていく。
3つの質問への回答が、自分の中で確信できるレベルにまで到達したとき、人は「人生をかけてこの社会課題を解決する」と口にするようになる。それが、社内起業家としての覚醒である。
成果物
- 3つの質問に対する、現時点での自分の回答(朧げで弱くてよい)
ゲート条件
回答が出てこなくても次に進んでよい。「いま、自分には強くて明確な Will がない」という事実を直視できれば、それで十分である。
STEP 2:自分の現在地を、マトリクスに置く
目的
Will の形成は、目的地のない散歩ではない。現在地と目的地を地図上に置いて、初めて進むべき方向が見える。
2軸のマトリクス
書籍 第2章の図2-2 が示すのは、シンプルな2軸マトリクスである。
- 横軸:取り組む領域の明確さ(Q1 + Q2への回答) 緩い・広い ─────→ 明確・シャープ
- 縦軸:使命感・圧倒的当事者意識の強さ(Q3への回答) 弱 ↑ 強
このマトリクスに自分を置いてみる。
私が10年以上、何千人もの大企業社員と新規事業の議論をしてきた経験から言えば、ほとんどすべての人は、最初は左下のマス(領域も決まっておらず、強い意志もない)にいる。
それは恥ずかしいことではない。むしろ、それが「ふつうのサラリーマン」の標準状態である。日本の立派な企業の立派な肩書きを持つ人ほど、左下にいる確率は高い。なぜなら、彼らは「会社の中で評価される仕事」を最適化してきたのであり、社会課題のゲンバに触れる機会を持たずに仕事人生を過ごしてきたからである。
目的地は、右上のマス
Will の形成とは、左下から右上へと、自分の状態を移行させるプロセスである。
右上に到達した状態とは、「明確な領域に対して、圧倒的な当事者意識を持って向き合っている状態」である。社内起業家として覚醒した状態と言い換えてもいい。
成果物
- 自分が現在どのマスにいるかの自己認識
- 右上というゴールイメージ
ゲート条件
「自分は左下にいる」と正直に認められればよい。多くの人は「自分は右下くらいにいるはずだ」と過大評価する。その過大評価が、プロセスを止める。
STEP 3:自分のパターンを決める ── A か B か
目的
左下から右上への道筋は、100人100通り。同じルートを辿る人はひとりもいない。しかし、大別すると2つのパターンが存在する。自分がどちらに近いかを見立てておくと、次に何をすべきかが見えやすくなる。
Aさんパターン:先に右へ、次に上へ
最初に取り組む領域を絞り込み、その領域の現場の人たちとの対話の中で、徐々に意志が強くなっていくパターン。
例えば「介護領域に興味がある」というところから始まり、介護のゲンバを何度も訪れ、現場の人と対話を重ねる中で、ある瞬間に「これは自分が人生をかけて取り組む課題だ」と覚醒する。
このパターンは、「興味のある領域がぼんやりとでも見えている人」に適している。
Bさんパターン:先に上へ、次に右へ
最初に、領域は問わずに使命感・当事者意識が強くなり、後から取り組む具体的な領域が定まっていくパターン。
例えば「自分は会社の枠を超えて、社会のために何かしたい」という強い気持ちが先にあり、様々なゲンバを訪れる中で、ある日「これだ」と思える領域に出会う。
このパターンは、「強い気持ちはあるが、何に向ければいいかわからない人」に適している。
どちらでもよい
書籍が強調しているのは、「どちらが正しい」という話ではないということである。Aさんパターンを「正解」と決めて、Bさんパターンの人を否定してはならない。逆も同じ。
自分がどちらに近いかを見立て、そのパターンに沿って動き出せばよい。
成果物
- 自分のパターン(A寄りか、B寄りか)の見立て
ゲート条件
迷ったら両方を試してよい。最初は領域を絞らずに様々なゲンバに足を運び、途中で「この領域だ」と感じたらそこに絞っていく。それも100通りの中の1通りである。
STEP 4:ゲンバに、ひとりの人間として足を運ぶ
目的
コップに水を注ぐ作業を、ここから始める。
ゲンバとは何か
書籍が定義するゲンバとは、「課題の根深い現場」である。「課題の震源地」と呼んでもいい。
具体例を挙げる:
- 障害者雇用のゲンバ
- 介護施設のゲンバ
- 一次産業のゲンバ
- 子育てがしづらい社会のゲンバ
- あらぬ差別に苦しむ LGBT のゲンバ
- 増える外国人と民泊でトラブルが続発するゲンバ
日本にも世界にも、社会課題のゲンバは無数にある。共通しているのは、「日本の立派な会社のサラリーマンが、ふだんはまったく触れることのない場所」だということだ。
これは「やりたいことがない」のではない。「見ていないし、知らない」だけである。私はこの違いを、極めて重要だと考えている。Will がないのではない。Will の素材に触れていないだけなのである。
ゲンバで絶対に守ること:肩書きを捨てる
ここが、ほとんどの人がつまずく最大のポイントである。
ゲンバに足を運んだとき、これまでの肩書き・経験・常識を持ったまま入ると、ゲンバは何も語ってくれない。「大企業のエリートが視察に来た」という構図ができあがり、ゲンバの人は本音を引っ込める。あなたも本音を引き出せない。
書籍は明確に書いている。「ひとりの人間として」、ゲンバの人と対話をすること。
どれだけ立派な会社の立派な肩書きがあろうと、これまでに華々しい業績があろうと、それらのすべてが「まったく通用しない」社会課題が、日本にも世界にも溢れている。
その通用しなさを、ゲンバで体感する。打ちのめされる。何も言えなくなる。
その瞬間に感じるすべての感情が ── 困惑、無力感、申し訳なさ、それでも何かしたいという衝動 ── コップに水を溜めていってくれる。
具体的な始め方
明日から動き出せる選択肢を、いくつか挙げておく:
- 社会課題のゲンバを体験するスタディツアーに参加する
- NPO のボランティアスタッフとして週末に活動する
- 一次産業の現場(漁港、農村、林業地)に滞在する
- 障害者の就労支援施設を訪問する
- 過疎地域の集落に泊まり込む
選び方のコツは、「自分の今の仕事と、できるだけ遠い場所」を選ぶこと。仕事の延長線上にあるゲンバは、肩書きを捨てにくい。
成果物
- 1〜複数のゲンバへの訪問体験
- そこで感じた感情の記録(言語化されていなくてよい)
ゲート条件
「いい勉強になった」で終わらせないこと。次の STEP 5 で、その理由を説明する。
STEP 5:ホンバに、新規事業の最前線を見に行く
目的
ゲンバで打ちのめされた感情に、勇気と希望を加える。
ホンバとは何か
書籍が定義するホンバとは、「新規事業開発の最前線」である。
テクノロジー分野で言えば、シリコンバレー、深セン、イスラエル、エストニア。私自身も繰り返し足を運んできた場所である。
しかし、ホンバはそれだけではない。地域企業にとっては、東京のベンチャー企業や、先進的な大手企業の社内ベンチャーがホンバになりうる。既存事業の部署で働く人にとっては、自分が所属する企業の中の新規事業開発部やイノベーション推進本部もホンバである。
ホンバの役割
ゲンバで根深い課題に打ちのめされたとき、人は「自分には何もできないのではないか」と感じる。それは自然な反応である。
そのときに、すでに異なる領域で課題に立ち向かい、創造性と圧倒的な意志を持って動いているホンバの人たちの存在が、勇気を授けてくれる。
「自分とは違う領域だけれど、こういう人たちが世の中にはいる。だったら、自分にも何かできるかもしれない」
その感覚が、コップに別の水を注いでくれる。
成果物
- 1〜複数のホンバへの訪問体験
- そこで受けた刺激と勇気の記録
ゲート条件
ホンバに行って「自分も起業家になれそうだ」と思えるのは早い。今はまだ「こういう人たちが世の中にいる」という感触で十分である。
STEP 6:ゲンバとホンバを、いったりきたりする
目的
コップに水を溜め続ける。一度きりの訪問では、水は溜まらない。
いったりきたりが、コップに水を溜める
書籍の中で、私が最も大切にしている表現のひとつが「いったりきたり」である。
- ゲンバで、これまでの成功体験が一切通用しない根深い課題に打ちのめされる経験
- ホンバで、革新的な技術や働き方、価値の作り方に刺激を受ける経験
この双方を、何度も何度も行き来する。
ゲンバだけに通い続けると、無力感に押しつぶされやすい。ホンバだけに通い続けると、地に足のつかない夢想家になりやすい。両方を「いったりきたり」することで、現実の痛みと未来への希望が、ひとりの人間の中で同時に育つ。
どのくらいの頻度・期間か
書籍は厳密な期間を示していない。私の経験から言えば、半年から数年のスパンで継続する人が多い。週に1度の小さな訪問でもいい。月に1度の本格的な滞在でもいい。
大切なのは、「続けること」と「いったりきたり」の構造を守ることである。
成果物
- 継続的なゲンバ・ホンバ訪問の習慣
- 自分の中で蓄積されていく、言語化困難な感情の総体
ゲート条件
「自分はまだ覚醒していない」と感じても続けること。コップの水位は、注いでいる本人には見えにくい。
STEP 7:応援と約束を、蓄積する
目的
ゲンバとホンバの体験を、確実に Will の形成へつなげる。
体験だけでは、原体験化しない
ここが、勉強好きの日本のサラリーマンが最も陥りやすい罠である。
ゲンバとホンバに行くだけで、誰もがその経験を「原体験化」できるわけではない。多くの人は「いやー、いい勉強になった」と満足して、次の行動につながらないまま、日常に戻っていく。
書籍は、この罠を回避するための具体的な技術を示している。「行った後何をするか」が、決定的に重要なのである。
やるべきこと① :誰でもいいので、感じたことを話す
ゲンバやホンバで感じた気持ちを、誰かに話す。
「興奮」「焦り」「やるせなさ」「無力感」「希望」── どんな感情でも構わない。それをそのまま、言葉にして誰かに伝える。
形式は問わない。「このあいだ、こんな場所に行って、こういう人たちと話をしたら、こういうことを感じた」と伝えるだけでいい。
話す相手は、家族でも、同僚でも、たまたま会った友人でもよい。ただし、ひとつだけコツがある。聞き手として真剣に向き合ってくれそうな相手を選ぶこと。流されると、自分の感情も流れていく。
やるべきこと②:小さな約束をする
これが、書籍の方法論の中で最も独自性のある部分である。
話した相手に対して、会話を終える前に「小さな約束」をする。
約束とは、「いま聞いてもらった気持ちを元に、少しでも前に進んでいく」と伝えること。
事業を作るという大きな話でなくてもよい。
- 「来月、もう一度同じゲンバに足を運ぶ」
- 「この領域の本を3冊読む」
- 「今の仕事に改めて向き合い直してみる」
- 「別のゲンバにも行ってみる」
なんでもいい。重要なのは、「相手に向かって、自分の次の行動を宣言する」という構造である。
なぜ約束が効くのか
一見、ただの口約束に思える。しかし、これが効く。
人間は、自分の中だけで決めたことは簡単に翻す。しかし、誰かに対して口に出して約束したことは、簡単には翻せない。
これが100人分蓄積されたとき、人間の中で何かが変わる。
成果物
- 1人、また1人と、自分が感情を話し、約束を交わした相手の蓄積
- 「あの人にも話してしまった」「この人とも約束してしまった」という、後戻りできない構造
ゲート条件
最初の1人にできるかどうかが、すべてのゲートである。1人目さえできれば、2人目はもっと簡単になる。
STEP 8:100人に到達するまで、続ける
目的
応援と約束の蓄積が、自己暗示に変わる臨界点を超える。
100人という相場観
書籍は明確に書いている:
どんな人でも「100人」に会って約束をすれば、その約束の量が「あれだけたくさんの人に約束してしまった」という自己暗示に変わる。
この100という数字は、データに基づいた厳密な数字ではない。私がこれまで何百人もの社内起業家の覚醒に立ち会ってきた中で得た、感覚値である。
ただし、相場観としてはかなり正確だと感じている。10人や20人では、まだ約束の量が「翻せる範囲」に収まる。50人を超えたあたりから、後戻りしにくくなる。100人に到達すると、もう翻すことができない。
100人の相手は、どんな人がいいか
書籍は「極論、誰でもよい」と書いている。しかし、コツはある。取り組みたい領域の近くにいる人ほど、有効なフィードバックを返してくれる。
- ゲンバで出会った当事者
- ホンバで出会った起業家・新規事業担当者
- 同じ領域に関心を持つ社内の同僚
- たまたま参加したカンファレンスで隣に座った人
数を稼ぐためだけに「誰でもいい人」に話してもいい。しかし、可能なら、関心領域の近くにいる人に話す方が、コップに水が溜まるスピードは速い。
成果物
- 100人分の「応援と約束」の蓄積
- 「あれだけ多くの人に約束してしまった」という自己暗示
ゲート条件
100人に達する前に「Will が固まった」と感じたら、それでもよい。書籍が示すのは、あくまで相場観である。早く右上に到達する人もいる。
STEP 9:原体験化の瞬間を、迎える
目的
コップから水が溢れる瞬間に、自分を立ち会わせる。
コップから水があふれる
書籍の中で、私が最も大切にしている比喩がこれである。
左下から右上に移っていき、ある瞬間に原体験化の壁を超えて覚醒する一連のプロセスは、「コップから水があふれる」現象に近い。
- コップが空の最初の状態が、左下の状態
- 「とある行動・経験」を重ねることが、コップに水を注ぐ行為
- ゲンバ訪問、ホンバ訪問、応援と約束の蓄積が、すべて水
- 水が溜まっていき、ある日、ある瞬間に溢れ出す
その瞬間に、人は覚醒する。
突然泣き崩れ、必ず課題を解決すると言い出す瞬間
書籍は、原体験化の瞬間を、こう表現している。
Will が一番右上のマスに入る瞬間に訪れる体験を「原体験化」と命名する。それは「突然泣き崩れ、必ず課題を解決すると言い出す瞬間」である。
この表現を、私は誇張だと思っていない。実際に何度も目撃してきた。
ある日、ある会議の最中に、それまで普通に議論していたサラリーマンが、突然言葉を詰まらせる。涙を流す。そして、「私はこれを、人生をかけてやります」と口にする。
その瞬間、彼または彼女は、もう「ふつうのサラリーマン」ではなくなっている。社内起業家として、覚醒している。
覚醒の瞬間を、自分で予測することはできない
私が10年以上の経験から言えることは、「いつ覚醒するか」を本人は予測できないということである。コップの水位は、注いでいる本人にこそ見えにくい。
ある日、突然、溢れる。
だから、プロセスを続けること以外に、できることはない。
成果物
- 原体験化の瞬間(覚醒)
- 3つの質問への、強く明確な回答
ゲート条件
ここがゴールではない。覚醒した後、その Will を事業として形にしていくプロセスが続く。本記事の範囲を超える論点のため、関連記事で扱う。
つまずきやすいポイント
私が10年以上、何百人もの覚醒に立ち会ってきた中で、繰り返し目撃した4つの落とし穴を挙げておく。
つまずき①:ゲンバに行ったが、肩書きを捨てられない
最も多い失敗パターンである。
「大企業の事業開発担当」「経営企画室長」「執行役員」── そういった肩書きを名乗ったまま、ゲンバに入る。すると、ゲンバの人は「視察にきた偉い人」として接する。あなたは「視察」をして、感想を述べる。
これでは、コップに水は溜まらない。
回避策は、ただひとつ。「ひとりの人間として」入ること。名刺を出さない。肩書きを名乗らない。「○○という者です」とだけ伝えて、後はじっと話を聞く。打ちのめされる準備をして入る。
つまずき②:「いい勉強になった」で終わってしまう
これも極めて多い。日本の真面目なサラリーマンほど陥りやすい。
ゲンバから帰り、ホンバから帰り、ノートにメモを書く。「学んだことを整理しました」と満足する。そして、日常に戻っていく。
これでは、原体験化は起きない。
回避策は、STEP 7で示した通り。誰かに話し、小さな約束をすること。学びを内面化するのではなく、外に出す。
つまずき③:100人に到達する前に止めてしまう
「もうわかった」「10人に話したから十分」「忙しい」── 様々な理由で、人は止めようとする。
しかし、10人や20人では、まだ約束の量が「翻せる範囲」に収まる。臨界点に到達しない。
回避策は、相場観として100という数字を信じること。データではない、感覚値である。しかし、私の経験から言って、この相場観はかなり正確である。
つまずき④:覚醒を「演技」してしまう
これは少し皮肉な落とし穴である。
書籍で「突然泣き崩れる」と読んだ人が、「自分もそうなるはずだ」と期待してしまう。そして、ある日「私はこれを人生をかけてやります」と宣言する。しかし、コップにはまだ十分な水が溜まっていない。
回避策は、覚醒を急がないこと。コップの水位は、注いでいる本人にこそ見えにくい。本物の覚醒は、自分でも予想しなかった瞬間に訪れる。それまで、淡々と水を注ぎ続ければよい。
成功判定の目安
Will の形成プロセスが正しく進んでいるかを、自分で判定する手がかりを示しておく。
定量的なサイン
- ゲンバ・ホンバへの訪問回数が、年間10回を超える
- 自分の関心領域について感情を話し、小さな約束をした相手が累計50人を超える
- 同じゲンバに「2回目」「3回目」と通い始める
定性的なサイン
- ゲンバから帰った後、しばらく「言葉が出ない」状態になる
- 関心領域のニュースを、自分ごととして読むようになる
- 同じ領域に取り組む人のことを、「同志」と感じ始める
- 自分の今の仕事が、急に「色褪せて見える」瞬間がある
- 関心領域について話すとき、自分の声のトーンが変わる
判定タイミング
定期的な振り返りは、月1回程度で十分。半年〜数年スパンで進むプロセスを、毎日チェックしても意味はない。
「最近、自分のコップにどれくらい水が溜まってきたか」を、月に一度、静かに振り返る習慣を持つとよい。
AI時代における Will 形成
書籍『新規事業の実践論』を上梓したのは2019年。あれから時代は変わった。
AI が事業計画を一晩で生成する。完成品を数日で構築する(書籍『AI収益進化論』第3章、Completion Cost Collapse)。市場分析もペルソナ設計も、AI が高い精度で提示する。
そんな時代に、なぜ今もゲンバに足を運ぶ必要があるのか。AI が代わりにやってくれるのではないか。
私は、はっきりと否定したい。
AI 時代だからこそ、ゲンバに身体ごと触れる経験の価値は、逆に高まっている。
AI が代替できないものは何か。それは、「ひとりの人間としてゲンバの人と対話したときに感じた、自分自身の感情」そのものである。
打ちのめされる感覚、申し訳なさ、それでも何かしたいという衝動 ── これらはデータでも分析でもなく、身体で感じるしかない。書籍『AI収益進化論』が示す Primal Intelligence(PI) の核心も、ここにある。AI の学習データには存在しない、現場の感情と発想こそが、新しい収益の源泉になる。
AI で完成品を素早く作れる時代になった。だからこそ、「何を作るか」「なぜ作るか」を決める Will の質が、決定的に重要になる。
Will がないまま AI を使えば、効率化AI の域を出ない。事業の本質は変わらない。
逆に、強く明確な Will を持った人が AI を使うと、これまで存在しなかった収益構造が立ち上がる。それが、AI 時代の新規事業の景色である。
Will の重要性は、AI 時代に古びてはいない。むしろ、強化されている。
今日のうちに、すること
ここまで読んでくださった方に、私から最後にお願いしたいことがある。
書籍『新規事業の実践論』の最終章で、私はこう書いた。
この本を読んだ後、まず今日のうちにしてほしいことは、ゲンバかホンバに行く段取りをつけること。そして、行って感じたその気持ちを誰かに話し、「小さな約束」をすること。そんな「小さいかもしれないけれど、人生を変える大きな一歩」を、まずは踏み出してみてください。
これは本記事の読者にも、まったく同じ言葉で伝えたい。
明日からでも、今日からでも、できる選択肢を示しておく。
- カレンダーを開いて、来月のどこかにゲンバ訪問の予定を1つ入れる
- 関心のある領域の NPO に、ボランティア参加の問い合わせメールを送る
- 社会課題スタディツアーの情報を、今夜のうちに検索する
- 自分の関心領域について「ちょっと話を聞いてほしい」と、誰か1人に連絡する
どれか1つでいい。今日のうちに、何かを始めること。
それが、人生を変える大きな一歩の、最初の足音である。
次に読むべき記事
Will 形成のプロセスをさらに深めるため、関連する論点を扱った記事を紹介する。
- AXアーキテクト人材論 ── Will 形成された人材が、AI時代に AXアーキテクトとして変容していく道筋
- AXアーキテクト育成の5段階モデル ── 組織がAXアーキテクトを発掘・育成する仕組み
- Transformation構造とは何か ── 100倍化と組織を動かす力の掛け算で事業の質的変容が起きる構造
- 地域AXとは何か ── 地域における新規事業開発と Will 形成の接続点
- 収益進化とは何か ── 強く明確な Will が、AI時代の収益創造へとつながる構造
書籍『AI収益進化論』では、Will 形成された経営者が AX for Revenue Loop を回す過程で、Primal Intelligence(PI)を AI に注ぎ込み、新しい収益構造を作っていくプロセスが論じられている。本記事と合わせて読むことで、新規事業から収益進化への接続が見える。
よくある質問
Q1:Will がない状態から、本当に新規事業を立ち上げられますか?
はい、立ち上げられます。私が『新規事業の実践論』第2章で最も強く伝えたかったメッセージは、「Will は後天的に作り出すことができる」ということです。最初から強くて明確な Will を持っている人は、ほとんどいません。ふつうのサラリーマンが、ゲンバとホンバを行き来し、応援と約束を蓄積する中で、原体験化の瞬間を迎えていきます。Will が「ない」のではなく、Will の素材に触れていないだけです。
Q2:なぜゲンバとホンバの両方が必要なのですか?
片方だけでは、コップに溜まる水の質が偏るからです。ゲンバだけに通い続けると、無力感に押しつぶされやすくなります。ホンバだけに通い続けると、地に足のつかない夢想家になりやすくなります。両方を「いったりきたり」することで、現実の痛みと未来への希望が、ひとりの人間の中で同時に育ちます。この同時並行が、原体験化を生む条件です。
Q3:100人に話さないと Will は形成されないのですか?
100という数字は、データではなく相場観です。私がこれまで何百人もの社内起業家の覚醒に立ち会ってきた中で得た感覚値です。10人や20人でも形成される人もいれば、200人を超えてようやくという人もいます。重要なのは、「あれだけ多くの人に約束してしまった」という自己暗示が、ある臨界点を超えて立ち上がることです。100人は、その臨界点の相場観として記憶しておくとよい数字です。
Q4:AI 時代になっても、本当にゲンバに足を運ぶ必要がありますか?
むしろ、AI 時代こそ必要性は高まっています。AI が事業計画を生成し、完成品を素早く作れる時代になったからこそ、「何を作るか」「なぜ作るか」を決める Will の質が決定的に重要になります。AI が代替できないのは、ひとりの人間としてゲンバの人と対話したときに感じた自分自身の感情そのものです。書籍『AI収益進化論』が論じる Primal Intelligence(PI)の核心も、この身体で感じる経験にあります。Will のないまま AI を使えば、効率化AI の域を出ません。
Q5:原体験化の瞬間は、どうすれば早く訪れますか?
早く訪れさせる方法はありません。コップの水位は、注いでいる本人にこそ見えにくいものです。早く訪れさせようと焦ると、覚醒を「演技」してしまう落とし穴に陥ります。本物の覚醒は、自分でも予想しなかった瞬間に訪れます。できることは、ゲンバとホンバに通い続け、応援と約束を蓄積し続けること。その先に、コップから水が溢れる瞬間が、ある日突然訪れます。プロセスを信じて、淡々と水を注ぎ続けることが、結局のところ最も確実な道です。
出典
- 麻生要一「新規事業の実践論」(2019)NewsPicksパブリッシング / Amazon
- 株式会社Ambitions(AlphaDrive 100%子会社)「AI収益進化論──完成品製造コストゼロ時代の収益創造」(2026)https://axfr.ai/book
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